痔塚神社 由緒

 

 天正十二年長久手合戦の時、敵味方多くの戦死者が猪子石香流川のほとり八反田にあった。

植田城主次男「横地秀種」は徳川方で参陣し腰から下に深手を負い香流川まで逃れたがそれが元で戦死したと伝えられる。猪子石城(現在の月心寺あたり)の城主で叔父の「横地秀次」を頼ってこの地まで来たともいわれている。戦後敵味方の死体を合葬して横地塚と命名したが、年とともに地形も変わり田に開墾されたが塚のみ残り明治に至った。何時からか伝えられたことに何病によらず腰から下の病気と称して信心すれば不思議と霊験があるとされた。

明治、大正と社の奉納や管理・運営の移行などの変遷を経て、

令和二年五月に名東区香坂の地からここ猪子石神明社境内に社を移して現在に至る

 

御祭神 痔塚大神 じづかのおおかみ

    大物主神 おおものぬしのかみ

    湍津姫命 たぎつひめのみこと

 

例祭日 3月第一日曜日

 

「痔塚のお守り」

おしりの形も連想させる特製のお守りです

症状が軽くなる意の「軽石」も中に込められています

 

初穂料 1,000円

御朱印もあります